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こんぴら歌舞伎のあゆみ

旧金毘羅大芝居について

金毘羅大芝居の復元
 旧金毘羅大芝居は、天保6年(1835)に建てられた現存する日本最古の芝居小屋です。江戸時代より〝讃岐のこんぴらさん〟として親しまれ、庶民信仰のメッカとしてお伊勢参りとともに、全国から多くの参詣客で町は賑わいをみせておりました。旅人は長い石段を登り〝こんぴらさん〟に参詣し、長旅の疲れを旅籠(旅館)で癒しました。
 そんなこんぴら詣での楽しみのひとつとして、年に3回〈3月・6月・10月〉催される会式の際、町には市が立ち、芝居、相撲、軽業、操り人形などの興行が仮設小屋で掛けられました。特に芝居見物は最大の楽しみだったに違いありません。
 「金毘羅大芝居」の劇場が創建されるまで、その都度、仮小屋を建てての芝居興行でしたが、天保6年、高松藩寺社方より常設の芝居小屋建設の許可が下り、当時の大阪道頓堀にありました大西芝居(後の浪花座)の規模、様式、構造を模して、富籤(現代の宝くじのようなもの)の開札場を兼ねた常小屋として建てられました。そして江戸、大阪、京都の大都市にある劇場に匹敵するものとして当時「金毘羅大芝居」の名は全国に知られ、東西の千両役者がこぞって「金毘羅大芝居」の檜舞台を踏んだといいます。
 しかし時代は移り変わり人々の娯楽の変化とともに近代以降、小屋は映画館と変り小屋の内部なども様式を変えてゆきます。また所有者が変わるたびに芝居小屋の名称は「金毘羅大芝居」より「稲荷座」「千歳座」「金丸座」と改名され、やがて興行は衰退し廃館となります。小屋も荒廃が進み、朽ち果ててゆく運命でした。
<解体前の芝居小屋>
解体前の芝居小屋(正面) 解体前の芝居小屋(小屋内部・平場) 解体前の芝居小屋(二階への階段) 解体前の芝居小屋(奈落)
(正面) (小屋内部・平場) (二階への階段) (奈落)
 けれど、そんな芝居小屋を町の人々は熱心に保存を望みました。江戸時代より現代に至るまで風雨に耐え火災にも遭うことなく奇跡的に残った最古の劇場「金毘羅大芝居」を後世に残すため多くの人々により保存運動が始まります。その活動はさらに広がりをみせ、国内外の建築、演劇に携わる専門家も加わり、芝居小屋を訪れ専門的な調査も行われます。やがて人々の願いは国にとどくこととなり歴史的、文化的価値が認められ昭和45年6月17日「旧金毘羅大芝居」として国の重要文化財に指定されます。
 そして、昭和47年より4年の歳月をかけ昭和51年3月に現在の愛宕山中腹に移築復元され、天保の時代そのままの姿に甦ったのです。
(現在の旧金毘羅大芝居 正面) 解体前の芝居小屋(小屋内部・平場)
(現在の旧金毘羅大芝居 正面) (劇場内部)
平成の大改修

復元及び耐震補強工事に至る経緯

 昭和50年度の移築大改修以後、昭和60年から「四国こんぴら歌舞伎大芝居」が毎年開催されるようになり、全国の歌舞伎ファンの方々がこの旧金毘羅大芝居を訪れ、春の風物詩として盛況をいただいております。
 この度、日本最古の芝居小屋として国の重要文化財として指定されているこの小屋を、現代でも安心して観劇いただけるよう修理後30年経過した建物の健全性と耐震性能を調査し、今後の維持管理について検討することになりました。 調査の結果、梁のねじれや壁の亀裂は建物の保存に支障がないことが判かりましたが、耐震診断の結果は、今後の小屋の活用には無理があることが判明しました。
 そこで天井裏全面に鉄骨で構造補強を施すことになりました。偶然、補強を施すことにより、今まで住民からの待望の大梁を支えていた四本の支柱を除去することが可能となり、本来の姿(江戸時代の内装)に戻すことができました。
支柱撤去前 支柱撤去後の現在
(支柱撤去前) (支柱撤去後の現在)

 そして、驚くことに調査の過程で、ちょうちんを吊っていた観客席上方の大梁に「ブドウ棚」「かけすじ」の痕跡が発見されましたので、あわせて平場及び向う桟敷天井部には「ブドウ棚」を復原し、花道上部には「かけすじ」を復元整備することとなりました。

  • 「ブドウ棚」とは、天井に竹を格子状に組み荒縄でしめたもの
  • 「かけすじ」とは、役者が宙吊りするのに使用する演出装置のこと

過 程

年 月 内     容
H14年12月
痕跡の発見
痕跡の発見(クリックで拡大)
建物の健全性と耐震性能の調査を行なう。
「ブドウ棚」と「かけすじ」の痕跡が発見される。
H15年8月 工事準備開始(25日)
敷地内に仮設小屋・資材の搬入開始
H15年9月 工事開始(見学用外部足場設置・舞台床組補強)
H15年10月 実測・原寸取り・鉄骨製作・錆止め、仕上げ塗装
吊りバトン解体、撤去
H15年11月 鉄骨製作・超音波探傷検査・木部パッキン材加工取付
ブドウ棚の丸太位置決める
H15年12月 構造補強鉄骨組み立て開始・パッキン材加工取付
ブドウ棚の竹材料手配・整備・丸太皮むき、加工、取り付け
H16年1月 安全祈願祭(15日)
ブドウ棚の竹搬入、取り付け・かけすじ材料の加工、組み立て
補強用鉄骨組み立て
ブドウ棚の組立て
ブドウ棚の組立て
ブドウ棚の取り付け完了
かけすじ組み立て完了
かけすじの組立完了
かけすじの組立完了
H16年2月 4本支柱撤去(17日)・足場の解体作業開始
H16年3月 かけすじの装置設置・テスト
全ての工事完了(19日)
全ての工事完了

ブドウ棚について

 工事前の調査で、大梁上端にブドウ棚の痕跡が発見されました。大梁には、角釘穴(※1下記 割箸差込箇所)が残っており、中央間に3~4ヵ所、右脇間に2ヵ所認められました。このことから、小屋内での道具方の作業性を考えると、舞台上のブドウ棚が客席へ延び、向う桟敷の妻壁まで達していたものと考えられたので復原しました。
 竹は、香川県産で復原に使用した本数は約500本、一桝25cm角に統一し、荒縄で縛り上げ、それを丸太の上に置いています。
 ブドウ棚の役目は、歌舞伎の演目の中で役者の動きに合わせて裏方がブドウ棚の上を歩きながら客席に紙吹雪などを降らし、天井から物(ちょうちん・暗幕など)を吊るすことにも使われます。
天井裏の風景 向う桟敷の上部風景
天井裏の風景 向う桟敷の上部風景

かけすじについて

 工事前の調査で、平場大梁の左脇間には上面の角釘穴の他に、側面に角釘穴とひっかき傷が見つかりました。
 ひっかき傷は、約1.3尺間隔に配された2本の吊木(※1)の痕跡で、角釘穴はその材の止釘痕跡とみられ、位置は花道の真上に当たるところから、これらの痕跡は、古典的な宙乗り装置「かけすじ」の痕跡と考えられました。
かけすじの跡
かけすじの跡(※1) (クリックで拡大)

 長さは17m(舞台から向う桟敷)、花道からの高さは約5m幅は約60cmです。「かけすじ」は、役者を宙に浮かせて、花道の上を移動する手段として使います。例えば、役者二人が宙に昇り、花道の上を移動して立ち回りをすることもできます。
客席から見たかけすじ かけすじの内部
客席から見たかけすじ かけすじの内部
現在のかけすじとブドウ棚
現在のかけすじとブドウ棚
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