四国こんぴら歌舞伎大芝居

■ 旧金毘羅大芝居劇場案内 ■
旧金毘羅大芝居は、天保6年(1835)に建てられた現存する日本最古の芝居小屋です。
江戸時代より讃岐のこんぴらさん≠ニして親しまれ、庶民信仰のメッカとしてお伊勢参りとともに、全国から多くの参詣客で町は賑わいをみせておりました。

そんなこんぴら詣では、年に3回町には市が立ち芝居、相撲、軽業などの興行が仮設小屋で掛けられました。特に芝居見物は最大の楽しみだったに違いありません。

「金毘羅大芝居」の劇場が創建されるまで、仮小屋を建てての芝居興行でしたが、天保6年、高松藩寺社方より常設の芝居小屋建設の許可が下り、当時の大西芝居(後の浪花座)を模して、富籤(現代の宝くじのようなもの)の開札場を兼ねた常小屋として建てられました。

そして江戸、大阪、京都の大都市にある劇場に匹敵するものとして当時「金毘羅大芝居」の名は全国に知られ、 東西の千両役者がこぞって「金毘羅大芝居」の檜舞台を踏んだといいます。

しかし時代は移り変わり、人々の娯楽の変化とともに近代以降、小屋は映画館と変り小屋の内部なども様式を変え、やがて興行は衰退し、小屋も荒廃が進み、朽ち果ててゆく運命でした。

◆旧金毘羅大芝居の復活

昭和59年、歌舞伎俳優中村吉右衛門丈、澤村藤十郎丈、中村勘九郎丈の今をときめく江戸歌舞伎の人気役者がテレビ撮影に訪れ、「これこそ歌舞伎の原点」「是非この舞台を踏みたい」「何よりも客と一体感を感じる、舞台と客席の距離がすばらしい」と話し合ったのが、文化財としての旧金毘羅大芝居が芝居小屋として35年ぶりに「こんぴら歌舞伎」を復活させる再スタートとなりました。

それから、江戸時代より現代に至るまで風雨に耐え火災にも遭うことなく奇跡的に残った最古の劇場「金毘羅大芝居」を後世に残すため多くの人々により保存運動が始まりました。
その活動はさらに広がりをみせ、昭和45年、歴史的、文化的価値が認められ「旧金毘羅大芝居」として国の重要文化財に指定されました。

そして、昭和47年より4年の歳月をかけ昭和51年3月に現在の愛宕山中腹に移築復元され、天保の時代そのままの姿に甦ったのです。

さらに復元及び耐震補強工事、昭和50年度の移築大改修を経て、昭和60年から「四国こんぴら歌舞伎大芝居」が毎年開催されるようになり、全国の歌舞伎ファンの方々がこの旧金毘羅大芝居を訪れ、春の風物詩として盛況をいただいております。


現在の旧金毘羅大芝居 正面


劇場内部

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